『秀吉の大陸進出の野望』 その51

『捕虜の死』

中富は士分の者を一人選び、兵を3人つけて本陣に送って行くように言いつけた後、自分はさらに巡邏を続け

ることにしたが、別れて直ぐ、後方で続けざまに銃声が2発聞こえた。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正 002

馬を返し急行すると、脇の藪陰から先刻の兵らが両手両足をかかえて死骸らしきものを運び出して来るのを見

た。

「どうした?汝ら、何をしたのだ!」

中富は絶叫しながら、畑の中を疾駆して行った。

兵らは死骸をかかえたまま、立ち止まっていた。

「どうしたのじゃ!今の鉄砲は汝らじゃろ!」

どなりながら、しざまじい顔で馬を飛び降りた。

士分の者がきっと顔を上げ、口をとがらせて答えた。

「こいつ、逃げようとしたのでござる。あの土堤のところまで来ると、にわかに便がしとうなったというので、許し

て、見張りもつけずに放しましたところ、この藪に入ったのでござるが、なにやら様子がおかしいので、駆けつ

けて来ましたところ、藪を抜けて走り出していまいました。それで撃ったのでござる。一発は腰をかすめ、後の

一発が首を打ち砕いて、そのまま死んでしもうたのでござる」

偽りはないと思われた。

仕方はない。

中富は死骸を持たせて、本陣に帰り清正に報告した。

清正は死体を点検させたが、中富が見たという身分証明書のほかには、書類らしきものは何も持っていなかっ

た。

この者が言ったことは本当なのか。それとも味方の様子を探りに来たのか。ともかく、小西に話す必要があると

思ったので、その死体を「あおだ」に乗せて、自ら小西の陣に向かった。



ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。



清正公の熊本城(左から小天守・大天守・宇土櫓)
ku.熊本城 20151104




                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ