『秀吉の大陸進出の野望』 その52

『三成の戦略』

清正は朝鮮装をした死体を担がせて来て、小西に委細を語って死骸を見せた。

小西が釜山で遮二無二戦争をしかけて上陸し、急進また急進して京城まで入って来たのは、はじめの談判

過程において、秀吉の口上をそのままに朝鮮側に伝えず、朝鮮側の言い分をとりつくろって秀吉に報告しな

かったことが暴露することを恐れたからであった。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

しかし、ここまで戦争を続け、ここまで入って来れば、もう大丈夫である。釜山以来の既成事実の積み重ねが、

開戦前の談判過程のことなど押しつぶしている。

暴露の心配はないと思った。

そのうえ、彼は日本を離れる前から、石田三成から

「出来るだけ早く和議に持っていくようにしてもらいたい。この戦は決して豊臣家のためにならない。殿下の老

いの一徹を止め申すことが出来なかったのは残念であるが、この際としてはいたしかたない。和議が早けれ

ば早いほどよいことは十分に含んでくれるよう」

と言われている。

だから尚州で景応舜が日本語をよく話せることを知ると、前に顔見知りになっている李徳馨に和睦の意思を

通ずるために釈放していたのであった。

しかし、殆んど望みは持っていなかった。

この男は李徳馨に自分の言葉を伝えないであろうし、伝えても李徳馨は話にのってこないであろうと思ってい

たのです。

ところが、景応舜は忠実に自分の言葉を伝え、李徳馨は国王の許しを得て途中まで来ているという。その李

徳馨を清正の兵が殺し、その景応舜は死体になってここにいるのです。



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