『武将の名前は、どう呼んだ』 その2

『実名より「号」で有名になった武将たち』

官職名のほかに、「号」で呼ばれていたケースも多いのです。

有名なところでは、細川藤孝の「幽斎」。秀吉の軍使として活躍した黒田孝高の「如水」。信長の弟で千利休

の弟子でもあった織田長益(有楽)などがあります。

この織田有楽斎如庵が、江戸で屋敷を拝領していた地が、現在の有楽町です。

武田信玄(甲府駅前)
ta.武田信玄(甲府駅前)

そのほか、北条早雲、武田信玄、上杉謙信の「早雲」、「信玄」、「謙信」も、出家後の“号”なのです。

信玄の実名は「晴信」ですが、すっかり信玄という“号”が有名になってしまい、実名を聞くことは殆んどありま

せん。

また、謙信も同様です。

謙信の場合、その実名を3回変えています。

はじめが景虎、政虎、そして輝虎です。

輝虎の“輝”に字は、室町幕府第13代将軍の足利義輝が、謙信に与えたものです。

このように、将軍あるいは大名などが、功臣や元服を迎える者に、自分の名の一字を与えることを「偏諱(へ

んき)を賜う」といいます。

宇喜多秀家、織田秀信や家康次男の結城秀康は、みな秀吉から与えられたものです。

一般に元服は、主筋にあたる者が烏帽子親(仮親)となって、烏帽子と諱の一字を授ける。烏帽子子(元服を

する者)を尊重すれば、諱の上の字を、そうでなければ下の字を与えています。

家康は、今川家の人質となっている時、今川義元の前で元服していますが、その際に与えられた諱は、“義”

ではなく“元”でした。

松平元信。

このことからも、当時、家康はあまり尊重されていなかったということでしょう。



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家康公の隠居城・駿府城
su.駿府城 001




                             <参考文献:戦国大名おもしろ辞典(奈良本辰也薯)>
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名前の悲劇

こんにちは。いつもお世話になっております。うさーずさんにほこほこしつつ、微妙にご無沙汰してます。ごめんなさい。

名前ってのは、厄介ですね。資料を読んでいて、お前、誰やねん、って。公家日記で冠位で呼ばれると、そんなん、吐いて捨てるほどおるわー!っとなります。
秀吉なんて、秀さんばっかし。これはこれで面白いですが。えへへ。あなたも秀さんかよーっと。

通字を追えば分かりやすい反面、突然変えられたりしてパニックです。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわ~♪

寒くなりましたね。 今夜から暖房をはじめました。

名前は厄介です。
通字ではいっていき、別資料で官名などで表記されていると、誰のことやらに
なってしまいます。

ふと思いついたのですが、名前を変えたら何か手続きはあったのでしょうかね。
農民ですら、年貢の検収があったのでしょうから・・・。
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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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