『武将の名前は、どう呼んだ』 その3

『なぜ、信長は“弾正忠”を好んだのか』

信長の幼名は吉法師。

13歳で元服し、三郎信長と改める。三郎が通称で、信長が実名です。

清州城の織田信長像
od.織田信長清洲城像 001

信長の場合は、兄は腹違いの信広だけなので、順番からいうと次郎ですが、必ずしも順番どおりに太郎、次郎

とつけられた訳ではなく、奇数や縁起のいい数が尊ばれたのです。

18歳で上総介信長と名乗る。

“上総介”は、自称の官職眼名。上総は千葉県の一部で“介”は、地方官としてのランクを表すものです。

地方官の場合、4つのランクがあり、一番偉いのが「守」と呼ばれる長官で、因幡守や播磨守などです。

次官クラスが「介」。三等官が「椽(じょう)」で、一番下の四等官が「目(さかん)」です。

つまり、信長は、上総国の次官を私称していたのです。

33歳で尾張守信長、35歳の頃、弾正忠信長と改めていますが、いずれも私称です。

“尾張守”と称したのは、この2年前に尾張一国を平定していますので、これによるものだと思われます。

“弾正忠”は、中央官職のひとつである弾正台の三等官のことです。

弾正台は、風俗の粛清、内外の非法の弾劾、上奏などを行う機関です。

信長は三等官にも関わらず、非法を糾弾するこの役職が気に入っていたという。

一般に、武将たちが好んだ官職名は、地方長官たる国司。軍事、国防にたずさわる兵部省や京および

宮中の警備を司る五衛府、それに弾正台だったのです。

中央官職では、文治よりも武断の役を選ぶ傾向があったようです。

さすが戦国時代です。



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織田信長の安土城 (安土城登城記は「こちら」です。)
az.安土城 013



                                        <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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