『秀吉の大陸進出の野望』 その57

『京城の回復』

朝鮮国王は平壌まで逃れここに留まっていたが、日本軍が京城に留まったまま進まず、時折臨津江(イム

ジン河)の対岸の臨津のあたりまで少数の兵を出して偵察や巡察をするだけであることを知ると、この国王

に対して、側近の者どもは

「日本軍は海を渡って懸軍万里してまいりましたので、疲労がひどく京城から動けないのであります。そのう

え臨津江の水が深いうえに、味方が昼夜兼行で防塞を堅固に工事しましたので、いっそう難儀がって渡ろう

としないのであります。ただ今、味方は諸方の官軍が続々と集まりつつありますから、必ず日本軍を追い払

い、京城を回復するでありましょう」

と、言上した。

イムジン河
im.イムジン川

国王が喜んだことはいうまでもなく

「しからば、間近いうちに京城に還ることが出来るのう」

と、快報が来るのを、指折り数えてまったという。

ちょうどその頃、朝鮮の国境地帯の土民兵千人余りが平壌に到着した。

この兵らは満州北部からときどき南下してくる蛮族らと交戦した経験もあって、朝鮮としては剛健で勇敢な

兵団なのです。

これを韓応寅という将軍をつけて臨津につかわすことにした。

韓応寅が出陣の支度をしていると、臨津江まで出ている金命元将軍から報告が届く。

「臣は7千余りの兵を率いて臨津江の線に本陣を構え、時々兵を京城方面に出しているが、碧諦館近くで、

多数の敵を討取りました」

というのである。

国王とその側近らの喜びは一通りではない。

「急ぎ出発して、諸軍を率いて直ちに京城に進み、日本軍を撃滅し、京城を回復せよ」

よ、韓応寅に命じた。



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                                       参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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