『秀吉の大陸進出の野望』 その65

『清正、単独で北上』

寄騎大名の鍋島直茂と相良長毎の2人は、また言った。

「開城を出発以来、ここに至るまで16日、炎天の下をあの険路を押して参って、われらの人馬は疲れきって

います。この永興城には米や大豆なども豊かにありますゆえ、暫くここに逗留することに決め、京城の宇喜

多殿へ注進し、その指図次第にしては如何でござろうか」

要するに進軍が嫌なのです。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

それがはっきり清正にはわかった。わかった以上は強いても無駄であるから、

「しからば、ご両所はここにご滞在あれ、われらはわれらの心にまかせて、あくまでも追いてめ、両王子を生

け捕ることにしましょう」

と言って、翌朝早く手勢1万だけで出発し、北に向かった。




ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。



清正公の熊本城・宇土櫓
20130707 熊本城 005




                                 <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ