『秀吉の大陸進出の野望』 その68

『清正軍の反撃』

森本は急使を本隊に出す。

「しかじかであります。敵は味方の寡勢をあなどり、夜明けを待って皆殺しにするつもりでいると推察されます。

急ぎお出あって、これを包囲し、急に撃つなら、必ず快勝を得ることができましょう」

というのが、口上であった。

行幸橋の清正像
ka.加藤清正像 001

「さすがは儀太夫、あっぱれな戦さぶりだ。急げ者ども!」

森本はすでに敵のこもる山の地理を十分に調査している。海に面した麓は泥沼になっており、他の3面は草山

や小松林になっているという。

しかも、こちらをあなどり切って、一兵の哨兵も立てていないという。

「よし」

清正は海に向かった方はあけて、他の3面に兵を出し、敵陣から100m位に近づいたら、息をころして埋伏し、

合図を待って突撃せよ、合図は銃声3発である。

清正は黒革縅(おどし)の鎧に、銀のたたきの長烏帽子形の冑をかぶり、敵に最も接近した位置に床冗をすえ

敵陣の方向を凝視していた。

清正の

「それッ!」

という合図にで、3人の銃手は続けざまに引き金を引いた。

敵陣の驚きの声が上がるのが早かったか、包囲している清正勢の喊声が早かったか、山上はいっときに叫喚

に満たされ、次の瞬間には清正勢が斬り込んでいた。

敵勢は右往左往、七転八倒し、防戦など出来るものではない。逃げることに専念となった。

敵のいない方向に山を駆け下ったが、そこは沼地です。しまったと思い引き返そうとするも、後から来る味方に

押されて、泥に踏み込まれてもがきながら窒息して死に、かろうじて助かった者も、追いついて来た清正勢に討

取られた。

朝鮮側の記録「懲毖録(ちょうひろく)」には

「賊兵追い至りて芟刈(せんかい)し、死するもの無数なり」

と記録しているという。

敵将の韓克諴は、この時はかろうじて逃れたが、後に虜にされている。




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清正公の熊本城・飯田丸五階櫓
20130707 熊本城 010



                                 <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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