『秀吉の大陸進出の野望』 その73
『明軍の襲撃』
この方面の先鋒は小西行長です。
行長は平壌まで進むと、進軍を停止していた。
小西行長(1558-1600年)

ゲリラのための後方を撹乱されるので、不安で進めなかったのでしょうが、何とかして講和のきっかけを
つかみたい。
そのためには無闇に進んではかえって悪いと思ったのでしょう。
明軍の祖承訓は7月15日の夜、密かに平壌に忍び寄り攻めかかった。
最前線にいながら、小西もその寄騎大名らも油断しきり、前方に全く哨兵を出していなかったというので
すから驚きです。
小西も松浦鎮信も、宗義智も狼狽しながら戦った。
苦戦であったが運がよかったことに、祖承訓に率いられた兵は騎馬を得意とする遼東兵であるのに、平
壌の城内は曲がりくねった小路が多く、そのうえ前夜からの雨で滑りやすくなっていて、自由に馬を駆け
させることが出来なかったのです。
日本軍は狼狽から立ち直り、鉄砲を乱射し、斬って出て、ついに撃退したのです。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。
小西行長の宇土城

<参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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行長は平壌まで進むと、進軍を停止していた。
小西行長(1558-1600年)

ゲリラのための後方を撹乱されるので、不安で進めなかったのでしょうが、何とかして講和のきっかけを
つかみたい。
そのためには無闇に進んではかえって悪いと思ったのでしょう。
明軍の祖承訓は7月15日の夜、密かに平壌に忍び寄り攻めかかった。
最前線にいながら、小西もその寄騎大名らも油断しきり、前方に全く哨兵を出していなかったというので
すから驚きです。
小西も松浦鎮信も、宗義智も狼狽しながら戦った。
苦戦であったが運がよかったことに、祖承訓に率いられた兵は騎馬を得意とする遼東兵であるのに、平
壌の城内は曲がりくねった小路が多く、そのうえ前夜からの雨で滑りやすくなっていて、自由に馬を駆け
させることが出来なかったのです。
日本軍は狼狽から立ち直り、鉄砲を乱射し、斬って出て、ついに撃退したのです。
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