『秀吉の大陸進出の野望』 その79

『三成からの指令』

石田三成は秀吉のこの外征は豊臣家のためにならないと信じ、秀吉の顔が立つような条件をつかんだなら

講和に持って行きたいと思い、その旨を小西や宗に言い渡しており、玄蘇もまたこの線に沿い動いていた。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

沈惟敬は、玄蘇の話に大様に頷いた。

「日本がそのような心であるなら、天朝がどうして朝貢をお許しにならないことがあろう。わしもおおいに取り

成してしんぜよう」

小西は喜んで、帯びていた刀と陣羽織を贈った。

惟敬は受け取り、50日の停戦を提議した。

その間に北京に帰って朝貢の許しを貰って来るというので、小西は承諾した。

惟敬は平壌の北方10里を両軍の停止線と定め、北へ帰った。

惟敬は大法螺吹きであるが、日明間の和議をまとめることが出来ると言い立て大出世しており、本気で和議

をまとめるために北京に帰ったが、帰ってみると朝廷の事情が一変していた。

寧夏の乱が平定された報告が入って、主戦論がさかんになり

「堂々たる中夏帝国が海東の小蛮国である日本と和議などということがあるものか。降伏させるべきであり、

一戦あって痛破した後であるべきだ。」

と、論じており、朝廷の大勢もそれに傾いている。

こうなれば、一介の悪者から、にわかに成り上がった沈惟敬など何の力もなくなってきた。

「沈惟敬など私利私欲のために何をやりだすかわかったものではない。斬ってしまうがよい」

と、激論する者もいて、惟敬は小さくなっているより、他はなかったという。




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石田三成の兜
is.石田三成 兜



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