『秀吉の大陸進出の野望』 その81
『あほなのか、小西行長』
小西行長は、また待っていた。
すでに酷寒の季節になっています。日本人が経験したことのない寒さです。
小西行長(1558-1600年)
そのうえ食糧も欠乏して、兵士らは毎日ごく少量の粟と黍(きび)を食べるだけで、酒類もなく、しかも朝鮮
人民のレジスタンスが盛んで、危険で食糧調達もままならない有様で、病人が続出した。
年が明け、正月3日、沈惟敬の使者が来て、明の大将軍・李如松が講和使として来ると知らせた。
小西の喜びはひとかたではない。
家臣30人程を選んで、迎えのため順安まで出した。
李如松の先鋒はこれを迎え、歓待と称して酒を饗し、宴半ばにわざと口論をしかけ、四方から襲って殺害
した。
やっと助かった者が3人いて逃げ帰って、報告した。
小西は驚いたが、まだ疑う気にならなかったというから、その心理は不可解なものです。
酒の上で喧嘩になってこうなったのかも知れないと思い、一族で重臣である小西飛騨守を李如松の元につ
かわした。
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いつもありがとうございます。
<参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
小西行長は、また待っていた。
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小西行長(1558-1600年)
そのうえ食糧も欠乏して、兵士らは毎日ごく少量の粟と黍(きび)を食べるだけで、酒類もなく、しかも朝鮮
人民のレジスタンスが盛んで、危険で食糧調達もままならない有様で、病人が続出した。
年が明け、正月3日、沈惟敬の使者が来て、明の大将軍・李如松が講和使として来ると知らせた。
小西の喜びはひとかたではない。
家臣30人程を選んで、迎えのため順安まで出した。
李如松の先鋒はこれを迎え、歓待と称して酒を饗し、宴半ばにわざと口論をしかけ、四方から襲って殺害
した。
やっと助かった者が3人いて逃げ帰って、報告した。
小西は驚いたが、まだ疑う気にならなかったというから、その心理は不可解なものです。
酒の上で喧嘩になってこうなったのかも知れないと思い、一族で重臣である小西飛騨守を李如松の元につ
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