真田丸 その1

『真田信繁(幸村)』

真田信繁(幸村)については、以前「日本一の兵 真田幸村」で記事にしておりますが、NHKの大河ドラマで

「真田丸」が放映されますので、以前の記事をリメイクして毎週日曜日に記事にしてみたいと思います。

上田駅前の幸村(信繁)
ue.20100529 上田城 001

真田信繁は智将・名将として有名ですが、しかし史実としての真田信繁は、大坂の陣での華々しい活躍を

除けば、殆んど目立たない武将であったようです。

信繁の名を高らしめたのは、江戸時代の中期に成立した軍記物「真田三代記」で、幸隆・昌幸・信繁の真田

3代の活躍を記し、若い頃からの信繁の活躍がその中心になっている。

ここでは、信繁は大坂冬の陣のあと生き延びて、豊臣秀頼とともに薩摩に逃げたことになっているが、もちろ

ん書かれていることの多くはフィクションなのです。

さらに信繁人気が不動となったのは、明治44年に立川文庫の「智謀真田幸村」が大ヒットしたからだといいま

す。


史実としての真田一族は、主家・武田家の滅亡後、辛酸をなめつつ上杉、徳川、豊臣間を渡り歩き戦国の世

を生き抜いているのです。

しかし、関ヶ原の戦いを前に、真田昌幸と嫡男の信幸(信之)は袂を分かち、それぞれ西軍と東軍につき、信

繁は、父とともに西軍に参じています。

これには訳があり、昌幸の妻は宇田頼忠の娘で石田三成の妻とは姉妹で、また、信繁の妻は、大谷吉継の

娘なのです。

一方、信之の妻は徳川四天王のひとり本多忠勝の娘で、父子・兄弟それぞれ妻の実家の側に立ったのです。

関ヶ原戦に際し、上田城に籠もった昌幸・信繁父子が、徳川秀忠軍を翻弄した話は史上に名高いが、関ヶ原

戦後は敗れた昌幸・信繁父子は高野山の九度山村に配流となった。

死罪を免じられたのは、信之が自らの恩賞に変えて助命を家康に乞うたからだという。

慶長19年(1611年)、大坂冬の陣が起こり、大坂方に誘われた信繁は九度山を脱出し、大坂城に入った。

この時、信繁は48歳であった。



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いつもありがとうございます。



上田城から凱旋するpiglet
ue.20100529 上田城 013




                                        <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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おいでおいで♪

こんにちは。いつもお世話になっております。
いよいよ始まりますね。piglet01様の戦国時代。
私は正直、真田さんちをよく知らないので、ドラマとこちらの記事を楽しみにしてます。

きゃー。pigletくん、おいでおいでー!
一直線に来てくれるなんて、かわいい子だー!

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわー

真田さんのテレビスイッチは入っていたのですが、快適に居眠りし
最初の10分位しか見られませんでした><

この日、pigletは上田城で楽しく遊んでくれました。

> きゃー。pigletくん、おいでおいでー!
> 一直線に来てくれるなんて、かわいい子だー!

本当ですね。
うさぎは、まっすぐ歩く習性はないのですが、つねまるさんに
呼ばれて、まっすぐ歩いたのですね^^
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