『秀吉の大陸進出の野望』 その84

『小西の敗戦が清正にとどく』

3日間戦いは続いたが、明軍の勢いは益々強く、ついに平壌に侵入して来た。

小西行長らは、ついに火を放ち煙にまぎれて南走した。

この小西の敗戦は、在韓の諸将らを震撼させた。

大友義統(1558-1610年)
oo.大友義統

平壌から50kmほどの京城よりの鳳山にいた豊後の太守・大友義統が守備をしていたが、急報に接して、

驚き恐れて逃げ出し、小西がここに落ちのびて来た時には、陣中に一兵もいなかった。

当時、京城には石田三成、増田長盛、大谷吉継の3人が司令部を組織しており、3人は相談して、各地の

諸将に京城に集結を命じた。

明軍20万の新鋭の大軍が南下して来るのを、どう防ぐかの相談のためであった。

この形勢が、加藤清正がいる咸鏡道方面にも響いてきます。

清正はこんことになっているとは全く知らず、咸鏡道の南端の安辺にいたが、正月下旬に京城から薩摩の

島津家の武士200余人が、使いとなってやって来た。

その内容は、小西の敗戦を知らせ、早く引き取って来るようにとの口上であった。

「不覚千万なる小西め!出兵以来数ヶ月にわたる日本の武士の苦労は、水の泡になったではないか。殿

下に何とおわび申す所存ぞ!おれがあの方面の先鋒だったら」

と、歯ぎしりしないでいられない。

「貴殿らが見て来られた通りの雪、何ともいたしがたくござる。雪がいくらか消え、軍勢の通行がかなうよう

になりましたら、引き上げてまいるでござろう」

と、答えて帰した。



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                            <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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