『秀吉の大陸進出の野望』 その85

『凛と対応する清正』

明は、大明皇帝の勅使であるという、馮仲纓(ひょうちゅうえい)を清正のもとに使者としておくった。

清正は礼を備えて迎えた。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

仲纓の口上は、3ヵ条に要約できた。

1.捕らえている朝鮮の2王子をかえせ。

2.日本軍は今や平壌で敗れ、京城で敗れ、全軍が南走しつつある。明軍の追撃は急であり、各地には

 義軍が蜂起して、随所で日本軍を襲撃しているから、日本軍は釜山海に達せずに全部殺されるか、降

 伏するであろう。

3.汝清正は戦場においては猛勇比倫がないが、朝鮮に入っていらい民には仁慈をもととして、いささか

 も暴悪の行いがない。本性仁心ある者と思われる。むざむざ殺すのは不敏であるから、助命してつか

 わす。速やかに降伏せよ。汝の軍勢ともども大明より船をつかわして、日本に送り帰してやる。しからず

 ば、40万の大軍をさし向け一挙に攻めるぞ。

というのであった。

清正は恐喝であろうと思ったが、小西行正の敗戦と諸将が狼狽して京城に集まり善後策を相談している

ことは知っている。

あるいは再度の敗軍があったのかも知れないと思った。

しかし、彼の覚悟は日本を出るときから決まっていた。

丁重に饗応したうえで、落ち着きはらって返答した。

「2王子は、拙者が自ら捕らえたのでござるが、すでに太閤に報告いたしてあるものでござれば、もはや太

閤の捕虜でござる。自儘(じまま)な処置は出来申さぬ。次に平安道にて小西敗軍とのこと、それは承知し

ていますが、日本軍が再度敗軍したことは信じかねます。小西は元来堺の町人でござる。若年のおり朝

鮮に往来して、地理をよく存じている故、案内役として宗対馬守が陣中にいるだけのもの、これが敗れた

とて日本軍の鉾先は曲がりません。真の日本軍の武将とは、かく申す拙者でござる。40万の大軍を向け

ると仰せでござるが、山路険しいことでござる。たとえ雪がなくとも、日に1万がせいぜい。1日に1万を討

ち果たすこと、拙者においては易うござる。40日にてかたがつく勘定でござる。」

思い切った大言だが、あくまでも礼儀正しく、あくまでも物静かに言うのであった。

馮仲纓は知らず知らずに顔色がかわった。



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                                <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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