『秀吉の大陸進出の野望』 その87
『兵糧の欠乏』
軍議を再召集して、清正が提議したことは兵糧狩りであった。
「少人数で出かけて行く故、敵兵や一揆どもに攻められるのである。100人、200人が一団となって厳重に
武装して出かけるなら、敵も容易に攻めかかりはせぬし、攻めかかってきても打ち破ることが出来る。手段
を尽くすことをせず、殿下のお許しもないのに、折角占拠した京城から退去しては、殿下のご機嫌のほども
案ぜられますぞ」
というのが、その意見であった。
本妙寺の清正公

筋道の立った意見であったので、浮き足立った諸将も腰をすえ直して大部隊で地方に行って兵糧を徴発す
ることにしたが、あまり効果はなかった。
戦争のために農事が捨てられ、元来農作物が乏しいうえに民間に自然と発生した愛国心によるレジスタン
スが盛んになっていたのです。
朝鮮出兵は、その初めから将士の間には不人気であった。
長い間の戦国乱世が続いて、秀吉によって天下が平定され統一したのだから、日本人はみな平和と休息を
欲しがっていたのに、秀吉はこれを外征に駆り出したのです。この朝鮮出兵は日本の諸将にも、反対も多か
ったのです。
それでも戦争が順調であった間は、気がまぎれ、面白いとも思い、気力も盛んであったが、敗戦があり、戦
局が渋滞し、食糧も欠乏し、そのうえ経験もないほどの寒気にあったりすると士気は衰えざるを得ないので
す。
栄養失調のために、たちの悪い腫物に悩む者が多かったという。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
軍議を再召集して、清正が提議したことは兵糧狩りであった。
「少人数で出かけて行く故、敵兵や一揆どもに攻められるのである。100人、200人が一団となって厳重に
武装して出かけるなら、敵も容易に攻めかかりはせぬし、攻めかかってきても打ち破ることが出来る。手段
を尽くすことをせず、殿下のお許しもないのに、折角占拠した京城から退去しては、殿下のご機嫌のほども
案ぜられますぞ」
というのが、その意見であった。
本妙寺の清正公

筋道の立った意見であったので、浮き足立った諸将も腰をすえ直して大部隊で地方に行って兵糧を徴発す
ることにしたが、あまり効果はなかった。
戦争のために農事が捨てられ、元来農作物が乏しいうえに民間に自然と発生した愛国心によるレジスタン
スが盛んになっていたのです。
朝鮮出兵は、その初めから将士の間には不人気であった。
長い間の戦国乱世が続いて、秀吉によって天下が平定され統一したのだから、日本人はみな平和と休息を
欲しがっていたのに、秀吉はこれを外征に駆り出したのです。この朝鮮出兵は日本の諸将にも、反対も多か
ったのです。
それでも戦争が順調であった間は、気がまぎれ、面白いとも思い、気力も盛んであったが、敗戦があり、戦
局が渋滞し、食糧も欠乏し、そのうえ経験もないほどの寒気にあったりすると士気は衰えざるを得ないので
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