『秀吉の大陸進出の野望』 その88

『明との和議交渉』

当時の日本人は、まだ国家観念や国民意識が強くなかったので、脱走して帰国する者が続出したという。

この頃、諸国に

「お国からの手形なくして帰国した者は取り押さえよ」

という通達が出されているが、これは脱走帰国者が多かったことを語る史料なのでしょう。

なかには脱走し明軍に降伏し、明軍側に属して日本軍と戦う者もあったというから、酷い話です。

これらのことは糧食が欠乏しているというのが当面の原因であったので、秀吉は糧食を送りたいとあせっ

たが、制海権が朝鮮側に奪われているので、どうすることも出来ない。

「この上は、和議に持ち込むより他はない」

と、秀吉自身が考えるようになったという。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

明の方でも、碧蹄館で大敗して日本軍の力の恐るべきことを知ってから、真剣に和議を考える有力者が出

てきたという。

こうなると、また沈惟敬が出て来て、小西行長に働きかけた。

小西はもちろん講和は最初からの志であるが、前の失敗に懲りているから散々に念をおす。

ぬかりない惟敬です。もっともらしい弁解をする。

これらの交渉は全部文書をもって行なわれたという。

この時、両人の間に交わされた和議条件がどんなものであったか、はっきりわかりませんが、後のことから

考え合わせると、次のようなことであったのでしょう。

1.明の皇女を日本の天皇の妃におくる。

2.朝鮮の4道を日本に割譲する。

3.朝鮮は日本に王子ひとり、重臣ひとりを人質に送ること。

4.日明間の貿易を再開すること。

小西は、条件はこれでよいが、大明皇帝から人質を貰いたいと要求した。

これまで散々に騙されているのですから、当然のことでしょう。

「よろしい、差し出しましょう。4月8日までには必ず連れてまいりましょう。しかし、大明国がそこまでいたす

以上、日本側でも実意をいただかねばなりません」

「それはそうです。しばらくお待ちあれ」

小西は席を外して、別室に入った。そこには石田三成が待っていた。

沈惟敬が来ると聞いて、来ていたのです。

三成は、釜山近くまで全軍を引上げさせると答えよと指示した。

「殿下がそれをお許しなりましょうか」

「ご心配にはおよばぬ。拙者が日本に馳せ戻り、必ずお許しをいただきます」

小西は席に戻り、全軍を釜山近くまで引上げさせると答えた。

「では、また」

と、沈惟敬帰っていった。



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sakura 20160127



                                 <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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