『秀吉の大陸進出の野望』 その89 

『小西幸長、また騙される』

石田三成は京城を立って日本に向かった。

味方が優勢であり、講和談判に有利であることは常識であるので、届いた秀吉の指令はこうであった。

「京城を引上げたらなら、蔚山から釜山に至るまでの慶尚道の沿岸に16の砦を構え、諸将にこれを久守す

ることにせよ。そして、晋州城を攻め落として、城中の者を皆殺しにせよ」

小西幸長
ko.小西行長02

約束のとおり、4月8日に沈惟敬は人質の謝用梓、徐一貫の2人を連れて来て、小西行長の陣中に入った。

この2人は明の皇帝の勅使であるということであったが、真っ赤な偽者であった。

日本人は中国の官史はみな学者だと思っているから、坊さんたちが学問の話をしかけたり、詩の唱和を望ん

だりするかも知れない、そんな時、対応が出来ないでは偽者であることが直ぐバレろので、官史採用の試験

にまだパスをしていない者を口説き、勅使にしたのだという。

「日本は講和を切望している。そなたらは勅使という名目で行く故、決して危害を加えられることはない。大い

に歓待し、進物などもたくさんくれるであろう。大変な利益になるぞ。出来るだけ本物の使節が行って、そなた

らを引上げて来られるようにする。わしもついて行くのである故、少しの心配はない。勇気をふるい興して行く

が良い」

と、説いたのです。

こんなことを日本軍は少しも知らない。

秀吉からの指令が昨日ついているうえ、こうして約束が履行されたと信じたので、諸将は撤退にかかった。

勅使と称する2人と沈惟敬は、小西の陣中にあって小西とともに撤退する。

こうして日本軍は朝鮮南端の慶尚道に撤退したが、ここで踏みとどまり、蔚山から釜山に至るまでの海辺

16ヵ所に砦を設けた。




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sakura 20160128




                                 <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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