真田丸 その5

『秀忠と昌幸 その1』

兄・信幸(伊豆守)は父・弟と別れると、すぐ家康の本陣へ行って父・弟と引き別れてまいりましたと言上した。

「伊豆が忠心、ありがたく思うぞ」

家康は厚く褒めて、父・昌幸の所領をあてがう書付をくれ、今後の取立てを約束する証文もくれ、速かに沼田

に帰って、信州口と会津口の境目の固めを厳重にせよと命じた。

秀忠が逗留した小諸城二の丸 (小諸城登城記は「こちら」です。)
ko.小諸城二の丸

信幸は早速指示に従ったが、間もなく徳川秀忠から書面が届いた。

「自分は宇都宮の陣所から、榊原康政を先鋒として、総勢3万8千余りを率いて中山道を通って西上の途につ

く故、その方も上田方面に出るよう」

という文面。

信幸が指示に従ったのはいうまでもない。

秀忠は8月24日、宇都宮を出発して9月1日に軽井沢に到着し、小諸城主の仙石秀久の出迎えを受け小諸城

に入った。

上田城の力取を避けて開城を説いてみようということになり、使者を立てた。

「石田三成の邪計にあざむかれて、一筋に籠城のお支度あるが、関東お味方の諸将は既に岐阜城を攻め落と

し、内府(家康)は東海道から、秀忠公はこの道から攻め上がっておられる。石田らの軍勢は踏み潰され、石田

をはじめ凶徒のやつらは捕らえられて首斬られんこと間違いないことであります。早く前非を悔いて帰順し、子

孫の後栄を計られるべきでありましょう」

という口上。



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昌幸は何処にいるんだい!
pig 20160206




                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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