『秀吉の大陸進出の野望』 その97

『朝鮮の策略』

清正は講和が嫌なわけではない。

彼もまたこの外征が失敗であったことを認めざるを得ない。

彼自身は一度も負けず、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取り、常勝将軍として、その威名は朝鮮では勿論

のこと、いうまでもなく明国にも響き渡っているが、この外戦の全局を見渡したとき、失敗であることを認めざ

るを得ない。

本妙寺の清正公
ka.加藤清正本妙寺像

しかし、同時に秀吉を信ずることが最も厚い。

幼少の頃から手塩にかけて育てられ、教えを受け、今の身になった清正にとって、秀吉は神にも等しい存在

であった。

「和議は大いによい。しかし、それは殿下のご意思に沿っての和議であるべきである」

秀吉の意思は絶対であったのです。

惟政(松雲大師)は帰って行ったが、この惟政の報告によって朝鮮側では初めて秀吉の意図している和議の

内容を知って驚愕した。

そこで朝鮮は、一方では、小西行長と沈惟政の工作を邪魔し、一方では小西と清正との間に水を差し続けた。

惟政は幾度も清正の陣中に来て、小西に対する清正の悪感情を挑発するようなことを言う。

「王子を返還したのは将軍であるのに、小西は自分の功として、明やわが国に言いふらしていますぞ」

「小西が何と言おうと、王子を捕らえたのはわれら、太閤の命によってこれを返還したのもわれらでござる。そ

れは世人がみな知っていること。ご念にはおよびませぬ」

と相手にしなかった。




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ka.かも 20160215



                                   <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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