『秀吉の大陸進出の野望』 その98 

『秀吉の真意7ヵ条』

朝鮮は明の将軍・劉綖(りゅうてい)と組んで清正を誘惑しようとした。

劉綖は書を送り、また惟政(いせい)を遣わして言う。

「将軍は武勇絶倫、武名高き人であり、今度の戦争で大功を立てられたのに、その功はすべて小西に奪わ

れてしまったではないか。なにを恋々として太閤の臣たるを続けるのか。わが明朝に仕えよ。余は必ず将軍

を上将軍に推薦するであろう。また、もし日本で太閤になりたいなら、明国が力を貸してやるであろう」

清正は笑った。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

「われらは異国に仕えようとは思わぬ。また、太閤は日本大名の主、われらはそれに仕える大名である。わが

日本では、下が上を犯すことはござらぬ」

と、言って退けた。

利をもって誘っても、義を守って決して動揺しない清正の凛呼たる態度には、朝鮮側も明将・劉綖も心中感心

した。

失敗した訳ですが、失敗だけでなく得ることも多かった。

小西と惟敬が言うことがウソ八百で、秀吉の真意7ヵ条を知ったことである。

彼らは小西と沈惟敬を弾劾にした。

狼狽した2人は降表(降参を申し出る文)を偽造して、明朝に差し出した。

大意は次のとおり

「わが日本国民は皇帝閣下(明の皇帝)の威徳を慕って、その赤子となりたいと切望していますので、わたく

しは朝鮮にとりなしを頼みましたが、朝鮮はこれを隠して申し上げてくれません。日本のこの切望と朝鮮のこ

の不親切とがもつれ、この戦争になりました。しかるに、朝鮮はなお悪意を抱き、偽りを陛下に申上げて、大

明軍の出兵となりました。わたくしは決して王師には刃向かう心はないのですが、不幸な衝突となりました。

誠に残念、恐懼(きょうく)にたえないことです。

しかるところ遊撃将軍・沈惟敬殿がまいられて、親切に忠告説諭されましたので、わが軍は納得し、京城を

かえし、占領した各々の州も返還し、捕虜にした朝鮮王子達も奉還し、恭順の意を表しています。

願わくは、わたくしたちのこの赤心をお酌みとりあって、恩寵を垂れ、わが足利氏の先例によって、わたくしに

日本国王の名号を下賜していただきたく伏して懇願いたします。

そうしていただければ、わたくしは一層忠誠の心をはげまし、陛下のためには身命もおしまず、世々臣下とな

り、長く貢献をおこたらないことを誓います」

このようにして、明朝の方をつくろう一方、小西は朝鮮の朝廷を脅迫した。



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清正公の熊本城 (KKRホテル熊本から撮影)
熊本城 008-1




                                   <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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