真田丸 その8

『上田城の戦い火蓋が切られる』

戦いは始まった。

秀忠勢3万8千余、真田勢はせいぜい2千5百、これで戦う気になったのだから、大胆さもさることながら、

自信もあったのでしょう。

上田城
ue.20100406 上田城 001

9月5日には、上田城の近くまで押し寄せ、皆近辺の民家に止宿したのを見て、榊原康政は驚いて、

「不心得千万。真田は軍謀老練の者。味方かような体たらくでは、夜討ちをかけられたら、どうする所存ぞ。

野陣を張り、かがり火をおびただしく焚いて、寸分も油断あるべからず」

と怒鳴ったので、それに従った。

その夜、信繁は夜討ちに出たが防備厳重なのを見て引き返したところ、昌幸は頷いて、

「今の徳川家には甲州武士が多いゆえ、夜守の作法を心得ているわ」

といったという。

翌9月6日早朝、秀忠は小諸城を出発した。

染屋平まで馬を進めて、上田城を望見した。

その時、昌幸も信繁を伴って4、50騎で物見に出た。

これを見て秀忠は部下の将に命じて烈しく鉄砲を撃ちかけたが、昌幸はそしらぬ振りで馬を返した。

徳川勢は追いかけたが、途中、竹木の繁った要害の地がある。

牧野康成・忠成父子はこれに目をつけ

「かようなところには伏兵がいるものだ。真田が相手にならず引き返したのは、味方をおびき寄せるため

であったかも知れぬ。それ、駆り立ててみよ!」

と、手勢に駆り立てさせると、案の定であった。

伏兵どもも立ち起こり、鉄砲を撃ちかけ、槍を取って立ち向かい血戦が始まった。


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昌幸は何処へ逃げた!
ue.20100529 上田城 009



                                     <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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