『秀吉の大陸進出の野望』 その106

『三成は秀吉威光の反射』

特別なかんしゃく持ちは別ですが、普通の人間が激怒するのは、多くの場合一事によるものではないよう

です。そのように見えても、それは動機に過ぎなく、長い間の鬱積がドッと爆発するものです。

清正の場合も、少年の頃から石田三成とそりが合わず、色々葛藤が重なっていたのです。

青年期以後になると、三成は秀吉の側近にいて秘書官や書記官長的役になっていた。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

外様大名の伊達、佐竹、長曾我部、毛利、島津の大大名らは、三成の意を損ずることを不利として機嫌を

とり、毛利輝元は120万石の大大名ですが、こんなことがあったという。


輝元の家臣が貞宗の脇差を持っていた。

三成はこれを聞いて、譲ってくれるように所望した。

毛利家臣は先祖伝来のものであると言って、渋った。

輝元は、これを聞き

「今の世であの人がどんな人か、わかっていよう。わしのためだと思って、応じてくれ」

と言って、譲らせたというのです。

三成の威光は、つまり秀吉の威光の反射で、はっきり言えば虎の威を借る狐にしか過ぎないが、それがわ

かっていても身を慎んだのでしょう。

自分では偉い者になったと思っているのに、清正や福島正則、加藤義明、黒田長政、細川忠興などは少し

も媚びない。

この人々は三成同様に秀吉子飼いであり、清正や正則は血縁でもある。

また、あるものは秀吉の功臣に子供らで、子飼い同様にして育てられた人々であり、媚びる必要を認めない

のです。

これが三成には面白くない。

こちらも面白くない。そりは合わなくなるばかりであったのです。



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三成くんの佐和山城 (佐和山城登城記は「こちら」です。)
sw.佐和山城 002



                               <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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