鬼島津の武を知らしめた「島津義弘」 その1

『秀吉への恩義から当主と反目』

生涯で52回の合戦に出陣し、いずれも華々しい戦果を飾った薩摩の雄・島津義弘。

戦いの鬼ともいわれた義弘を語るうえで、絶対に外せないエピソードが、関ヶ原の戦いでの壮絶な撤退劇

です。

島津義弘(1535-1619年)
sh.島津義弘

この戦いのなかで義弘は、参戦した諸将にその強さと恐ろしさ、そして武人としてのプライドの高さを充分に

見せつけている。

豊臣秀吉の死後、徳川家康と旧豊臣方の激突は避けることができない状況になった。

このような状況に島津家は、当主・島津義久の判断により中立の立場を保つよう方針を定めるが、義久は恩

義ある豊臣方に与するべしと兄と反目し、大坂に居すわっていた。

その後、徳川家康が上杉征伐のために会津に出発すると、石田三成が挙兵。

留守となった家康の居城・伏見城へとその兵を向ける。

ここで家康に救援を頼まれた義弘は、仕方なく兵15百を率いて出陣。

伏見城に到着するが、城を守る鳥居元忠が島津軍の入場を拒否したため、義弘は怒って引き返し、そのまま

三成が率いる部隊に合流する。

こうして義弘は兼ねてからの思惑り、旧豊臣方の西軍へと名を連ねることになった。



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sa-ko 20160311




                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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