『秀吉の大陸進出の野望』 その115

『家康の黒腹』

秀吉の外征の失敗は、家康にとって最も好ましいことであった。

外征の当初、トントン拍子に運んでいる頃は、秀吉は朝鮮に渡って自ら指揮をとうろうと言い出していた。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

家康と利家は、2人揃って秀吉の前に出て諫言した。

「若い連中だけが行っていること故、ご心配なことはよくわかりますが、ご自身ご渡海とは勿体のうござる。

それはいずれ、われら両名のうち一人が、ご名代としてまいりましょう。なにとぞ思いとどまりください」

これで秀吉の渡海は中止になったというが、2人とも行く気はない。

無理に所望されれば、利家はいやいやながら行ったのでしょうが、家康は絶対にいかなかったのでしょう。


こんな話があります。

外戦がはじまり、家康も名護屋の大本営まで行かなければならなくなった時、家康の重臣・本多正信が

「太閤様ご渡海ということになりますれば・・・」

と、言ったところ、家康は

「さればよ、それを思案中じゃ」

と言った。正信は

「ご思案ならば、よろしゅうござる」

と言ったというのです。

秀吉にしても、家康には行ってくれと言えなかったのでしょう。

命令を出して断れたら、引っ込みがつかないことになる。命令を聞かなければ、処罰しなければ天下人

の権威が立たないが、それはとうてい出来ることではない。

反抗されて、合戦さわぎになれば、兵の大部分は外地に行っていて、もし合戦が長引けば天下の形勢

がどう変わるかわからないからです。



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pig 20160317




                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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