『秀吉の大陸進出の野望』 その118

『明使節への饗応』

8月半ば、明の使者が来た。和議が成立しての正式な使節であった。この使節は、今日の言葉でいえば

条約批准のための来日であった。

豊臣大坂城
oo,大阪城 000

持って来た明帝の文書には、日本の降伏を許すと書かれていた。

こんな屈辱的なものとは、秀吉はもちろん知らない。大名らも知らない。

知っているのは、石田三成、小西行長、宗義智らだけである。

あるいは三成と同僚の5奉行らは知っていたのかも知れません。

明使応接のために造った伏見城は、地震で大破損しているので、秀吉は大坂城で使節らに会った。

最初の日の饗応では、秀吉は赤い朝服を着、頭には明帝から贈られた中国の冠をつけて、上機嫌で

出席した。

饗応のテーブルには、牛、羊、鶏、魚などを材料とし、大いに中国式を気取っていた。

翌日は、明帝の勅書を受け取る日であった。

秀吉は明帝から贈られた冠服を着て出た。

明の使節は、秀吉の前で、勅書を読み上げた。

勅書の意味は

「なんじ秀吉、中国の尊むべきことを知り、使節を派して、万里の関をたたき、ねんごろに服属を願って

いる。感心である。故に特になんじを封じて日本国王とする」

というのであった。

シナ音で読まれたのだから、秀吉にも列席の諸大名にも、内容がわかる筈はない。

対等の立場に立っての和議であると、三成や行長らに聞かされているので、そうであるとばかり思い

込んでいる。



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                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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