賤ヶ岳七本槍の筆頭「福島正則」 その2

『豊臣家臣の凋落』

新たに天下人になった家康は、豊臣家からすべての権力を奪うべく画策するようなる。

すでに徳川家臣として所領を得ている福島正則だが、古くから豊臣家を盛り立ててきた身としてこの状況は

辛い。できれば自分が徳川家と豊臣家の仲介となり、豊臣家を存続させたいと考える。

福島正則の居城・広島城
hi.広島城 001

秀吉の後継者・秀頼が病に伏せたと聞けば見舞いに参上したじょか、家康と秀頼の会見実現にも尽力。

以前は武力ですべてを屈服させてきた正則も、この時期は両家の緊張を解消すべく慎重に動いています。

しかし、豊臣家への忠義をいまだに厚くする正則の態度を、家康が気に入る筈もない。

いつ反旗を翻すともしれない危険分子と見なされ、飼い殺しの状況に置かれていく。

大坂の陣では、何度も調停を試みるもかなわず、出陣さえ許されないまま遠く江戸で豊臣家滅亡の報を聞

くよりほかはなかった。

そして忠義を尽くすべき豊臣家がなくなっても、正則の不遇は変わらなかった。

徳川秀忠の代になって、居城を修理したことが法令違反だと問われた。

事前に本丸・二の丸・三の丸・石垣などの修理届けを出していたのにかかわらず、しかも雨漏りする部分を

ほんの少し直しただけで、福島家は左遷され所領も減らされた。

ほとんど言いがかりに近いこの処罰は、正則がいまだ危険分子と見なされ、力を蓄えていることを幕府が恐

れた結果であったのでしょう。

左遷先で寂しい晩年を送っていた正則は、1924年に享年64歳で没しています。

以降も福島家は没落の一途を辿ったが、いくら冷遇されようとも律儀に幕府の命に従った正則の意思を守る

ように、彼の子孫もまた幕府に反旗を翻すことはなかったという。

かつては秀吉の躍進に貢献し、また家康の天下取りの力になった正則の武勇は、皮肉にも泰平の世の中で

排除されるべき存在であったのです。


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                           <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>
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No title

福島正則の改易された地に行ったことがあります
小布施に行った時に行きました

スズメ蜂が凄くて近づけない雰囲気でした

まにゅの子 さま

まにゅの子さん、こんにちは。

そう、信州なんですよね。
一度は行ってみたいと思っていますが、夏はダメなんですね( ͒˃⌂˂ ͒)
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