秀吉股肱の臣「蜂須賀小六」

『秀吉のために、生涯を捧げる』

一般的に知られる「小六」は通称で、本名を蜂須賀正勝といい、尾張の国人領主の家に生まれた。

小六は、木曽川を利用した水運業を生業としていたようで、川沿いに勢力をもっていた「川並衆」の頭目

だったとも言われ、はじめは美濃の斎藤氏に仕えていたが、のちに織田氏に仕えています。

生誕の地・蜂須賀城跡(愛知県あま市蜂須賀)
ha.蜂須賀城跡

織田信長の配下となってからは、桶狭間の戦いにも参加して軍功をあげ、信長が美濃・斎藤氏の攻撃を

開始すると、斎藤方の調略に貢献したという。

この後、豊臣秀吉のものに配属となり、長島一向一揆の鎮圧や浅井・朝倉連合との戦いなどに参加して

武功をあげている。

小六と秀吉はかねてからの付き合いがあり、信長はあまり好きではなかったが、秀吉の部下としてなら

働こうということで、家臣になったともいわれます。

本能寺の変で信長が倒れた後、小六は秀吉の股肱の臣として、交渉役としてもよく働き、また、山崎の

合戦や賤ヶ岳の戦いにも参加している。

小牧・長久手の戦いでは、大坂城の留守役を任されており、秀吉からの信頼ぶりがわかります。

こうして秀吉のために尽力した小六であったが、四国征伐の後に病に倒れる。

秀吉から阿波一国の領有を許されるが、小六はこれを辞退して息子に譲ると、翌年の1586年に大坂

で没している。

太閤記などでは、小六は山賊の親分といった荒々しさか目立ちますが、実際は戦場で働くだけでなく、

政治面でも才能を発揮した、文武に秀でた人物であったようです。



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いつもありがとうございます。


pig 20160330



                              <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>
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はっちー♪

こんにちは。いつもお世話になっております。
おお、はっちー。
そうなんですよね、昔は山賊みたいに描かれる事が多かったはっちー。外交交渉もこなし戦も強い。秀吉にはなくてはならない人物だったのでしょうね。
息子に譲った経緯も、何か考えがあったのだろうなと思ってしまいます。
pigletくーん、春ですよー。おでかけの季節ですよー。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわー

ハッチー、はっちーです♪
はっちーと秀吉の話は、墨俣城造営が最初に見聞きした話だったと思います。

野武士はっちーは、文武に優れた人物だったようですね!

> 息子に譲った経緯も、何か考えがあったのだろうなと思ってしまいます。

この辺は、つねまるさんの記事で読んだ記憶があります・・・。

> pigletくーん、春ですよー。おでかけの季節ですよー。

桜の花が咲きましたので、週末は花見がいいですね♪

たいさ さま

たいささん、こんばんは。

東御苑を楽しませていただいています♪

> 蜂須賀小六って山賊の親分ってイメージしかなかったです(*^^*ゞ

まさにそのとおりですよね。
イメージではなく、そのまんまだったのではないでしょうか。

> 蜂須賀小六という名前のゴロがなんか好きです!

ハイ。響きがいいですね!
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