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木曽家の当主「木曽義昌」

『乱世に沈んだ名門』

木曽氏は信濃の名族ですが、木曽義昌の少年期に隣国の武田氏の猛撃にさらされ、その傘下に降って

いた。

しかし義昌は、武田信玄に尽くすことでその土地を守り、信玄もまた3女を義昌に娶らせて親族衆とする

待遇で応えた。

木曽義昌(1540-1595年)
ki.木曽義昌

信玄からすれば、名門・木曽家の血脈は魅力であり、美濃国境の押さえとしても重要な存在であったが、

義昌は実際の戦場で名だたる武田家の猛将に並ぶ活躍を披露し、家中での地位を実力で勝ち取ってい

た。

ところが信玄が没して武田家が衰えると、いち早く見限って織田信長に内通。

人質にあった家族を処刑されながらも、信長に未来を託して武田氏と戦った。

結果、武田氏は滅亡するが、その直後に信長が本能寺の変で横死する。

ここからも義昌の変わり身の早さは徹底していた。

徳川家康に通じ、豊臣秀吉に寝返ったかと思えば、家康に帰参するといった具合に、木曽氏の安定に

奔走。

しかし、そんな処世術で大成できる訳はなく、秀吉の小田原征伐に参陣しなかったことから、秀吉から

下総蘆戸城(千葉県旭市)へ一万石で移封を命じられ、この地で最後を迎えています。


【木曽義昌の主君変遷】

木曾義康→武田信玄→勝頼→織田信長→北条氏直→徳川家康→豊臣秀吉→徳川家康




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今年初めて撮った桜(会社の近くで)
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                  <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)、旭市HP>
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テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

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木曽くん

こんにちは。いつもお世話になっております。
大河では山賊の親玉みたいな感じでしたが、名門・木曽家ですもんねー。
必死に家と土地を守ろうと奔走した結果が、主をあちこちに渡り歩くことになったのかなー。よく頑張ったのに、残念でしたね。
桜、きれい。今年の花見は居酒屋ですか?って程の派手なものになりまして。
花より団子、花より昼酒。おほほほ。

つねまる さま

つねまるさん、こんにちは。

> 大河では山賊の親玉みたいな感じでしたが、名門・木曽家ですもんねー。

木曽を表現したのでしょうね。
確か、98%が森林とという山中ですからねー。

> 必死に家と土地を守ろうと奔走した結果が、主をあちこちに渡り歩くことになったのかなー。よく頑張ったのに、残念でしたね。

地方の土豪は、みんなこんな感じだったのでしょう。
真田家も同じで、家が続くことに全精力を注ぎ、知恵をだした結果なのでしょうネ。

> 花より団子、花より昼酒。おほほほ。

チョット違うのでは?
花より団子、ダンゴよりライスジュースなのでしょう!
いいことです!!
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