大坂の陣 その2

『暗殺か!?恩顧大名の死に孤立する豊臣家』

豊臣家にとって不幸なことに、豊臣恩顧大名の柱石ともいうべき浅野長政、加藤清正、池田輝政、浅野

幸長が、相次いで死んでいる。

浅野長政(1547ー1611年)
as.浅野長政

長政は、慶長16年4月に65歳で、清正は6月に53歳で、輝政は翌年1月に50歳で、幸長は8月に38

歳の若さであった。

俗説によれば4人の死は、徳川氏の手により毒殺されたという。荒唐無稽な噂にすぎませんが、火のない

ところに煙は立たずでしょうか。

実際、豊臣氏滅亡を考える家康にとっては、彼らの存在は煙たいものであったのですから。

今さら、豊臣家に対して、御家を賭けて生死をともにするとは思えないにしろ、福島正則の領国も合わせ

れば、200万石もあるのです。

家康にとっては、秀頼討伐の兵を挙げるには、躊躇わせるものがあったことは間違いないことでしょう。

その彼らが死ぬ。

偶然とはいえ、あまりの偶然に、世間はきな臭い匂いを嗅いで、噂したのでしょう。

他の大名家でも、豊臣家から恩を受けたことのない子が家督を継ぐ、という代替わりが進み、豊臣家離

れが加速していたのです。

機は熟した。

この時、家康は72歳になっていた。

武将としての経歴がない秀忠ひとりでは、豊臣家討伐の不可を知り、徳川政権安定のための最後の仕事

として、自ら出馬の決意を固めたのです。




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sakura 20160422





                              <参考文献:戦国武将おもしろ辞典(監修奈良本辰也)>
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