真田丸 その15

『昌幸、信繁は高野山へ』

昌幸は1600年12月13日に上田城を立ち高野山に向かった。

真田昌幸(1547-1611年)
sa.真田昌幸

昌幸の正室は上田に残留し、次男の信繁とその妻子、さらに池田長門・原出羽・高梨内記・小山田治左衛

門・田口久左衛門・窪田作之丞・関口角左衛門・関口忠右衛門・河野清右衛門・青木半左衛門・飯島市之

丞・石井舎人・前島作左衛門・三井仁左衛門・大瀬儀八・青柳清庵ら16人が従った。

昌幸の去った上田城は徳川方に接収され、家康の命令を受けた諏訪頼水らによって破却された。なお信之

と別れの対面をした際に、恐ろしげな目からはらはらと涙を流して「さてもさても口惜しきかな。内府(家康)を

こそ、このようにしてやろうと思ったのに」と無念の胸中を語ったと伝わっている。



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pig 20160424




                                   <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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あばよっ

こんにちは。いつもお世話になっております。
関ヶ原後を知る現代から見ると、そりゃそうでしょ、昌幸と思いますが、彼等のおうちでは様々な別れがあったのですね。

大河配役で脳内再生すると、さぞかし正室さんは嘆いたことかと。
この辺り、どう描かれるのか楽しみです。

pigletくん、ほんとに、そそくさーっとしてますね。飽きた?

つねまる さま

つねまるさん、こんにちは。

地方豪族の悲哀が出てますね。
当時はトーナメント戦で戦っていますので、悲哀をもっていないのは
天下人とだけだったのでしょう。

この覇者も翌年は、連覇できなければ悲哀をもつ人になってしまうのです
から、これが戦国時代なんですねー。
つねまるさんみたいに、知力ある人間は渡世しずらい時代だったかもですネ。

三谷さん脚本ですから、史実といわれる箇所も捻じ曲げているようです。


> pigletくん、ほんとに、そそくさーっとしてますね。飽きた?

そうなんです。
うさぎは、犬と違って目的を持って歩くことはないのですけど、この時は
はやく車に戻りたかったのでしょう^^
大きな駐車場でも、自分ちの車はわかるのですよ。
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