大坂の陣 その11

『戦国の終焉 太平の世に冷えゆく血』

淀殿、秀頼母子およびその近臣や侍女たちは、山里郭に火を逃げ糒蔵の中に非難していた。

自害しなかったのは、秀頼の正室であり、家康の孫である千姫を家康、秀忠のもとに送り届け、千姫から命

乞いを頼んで貰おうとしていたためだったからだという。

しかし、家康は許さず、銃撃をもって自害の覚悟を促がし、ここに豊臣家はわずか2代で滅亡した。

5月8日であった。

秀頼・淀殿自刃の地 (大坂城山里曲輪訪問は「こちら」です。)
oo.大阪城 202

7月13日、元和と改元される。

世にいう「元和偃武(げんなえんぶ)」です。

偃とは「伏す」の意で、偃武とは、武器を収め、用いないことを表す。

豊臣家を滅ぼした家康が、徳川治下による太平の世の現出を意図した改元であったのです。

これによって、戦国の世は完全にピリオドが打たといっていいのでしょう。

家康は、これより数日前の7月7日に「武家諸法度」を、7月17日には「禁中並公家諸法度」を定めている。

幕府の法の下に、天皇、公家、武家を統するものです。

また、この前月には「一国一城令」が出され、大名は、その居城以外の城を破却しなければならなかった。

平和の世に、城は無用ということです。

戦国、それはおびただしい血が流れた酷烈無比な時代であったが、同時に、あらゆる可能性を秘め、たぎり

たつエネルギーが噴出する気宇壮大な時代でもあったのです。

しかし、この後、徳川太平の世が続くなか、武士は牙を失い、その血が再び沸騰するのは、幕末の世を待た

ねばならなかった。

元和2年(1616)4月17日、戦国最後の覇者・徳川家康永眠。75歳であった。



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pig 20160506




                            <参考文献:戦国武将おもしろ辞典(監修奈良本辰也)>
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