出羽国米沢藩第9代藩主・上杉鷹山 その9
『七家騒動』
鷹山はきびしい倹約政治を励行したが、なかなか旨く行きません。
少しゆとりが出来たかと思うと、江戸の大火で桜田と麻布の藩邸が丸焼けになったりしたのです。
鷹山は屈せず努力を続け、領内の殖産にも取りかかるが、これも急に効果が上がるものではありま
せん。
米沢城 (米沢城登城記は「こちら」です。)

そのためでしょう。
江戸の大火にあった翌年の安永2年の夏、鷹山が帰国したところ、重臣らはわざと美衣を着て迎え
たばかりでなく、7老臣が連判の書付を差し出したのです。(七家騒動)
内容は鷹山の政治の弾劾状です。
「直ぐご返答をうけたまわりとうござる」
と、強要する。
「老公にご相談の上、返答する」
と、言ったが、きかない。
鷹山が立とうとすると、袴の裾をとって引き据えるありさまです。
これを見て、隣室から近習の佐藤文四郎が走り出して来て
「無礼でござるぞ!」
と、その手をはらい、鷹山はやっとその場を退出させた。
以降、この老臣らは病気と称して出仕しない。鷹山は使を出し言葉を尽くして、出仕を促したが出て
こないのです。
やむなく、鷹山は重定(義父)と相談して、処罰した。
2人は切腹、他は知行を減らした上で、隠居、閉門を命じた。
結局は、これが良かったのです。
鷹山の政治は、これから軌道に乗ることになります。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:覇者の条件(海音寺潮五郎薯)>
鷹山はきびしい倹約政治を励行したが、なかなか旨く行きません。
少しゆとりが出来たかと思うと、江戸の大火で桜田と麻布の藩邸が丸焼けになったりしたのです。
鷹山は屈せず努力を続け、領内の殖産にも取りかかるが、これも急に効果が上がるものではありま
せん。
米沢城 (米沢城登城記は「こちら」です。)

そのためでしょう。
江戸の大火にあった翌年の安永2年の夏、鷹山が帰国したところ、重臣らはわざと美衣を着て迎え
たばかりでなく、7老臣が連判の書付を差し出したのです。(七家騒動)
内容は鷹山の政治の弾劾状です。
「直ぐご返答をうけたまわりとうござる」
と、強要する。
「老公にご相談の上、返答する」
と、言ったが、きかない。
鷹山が立とうとすると、袴の裾をとって引き据えるありさまです。
これを見て、隣室から近習の佐藤文四郎が走り出して来て
「無礼でござるぞ!」
と、その手をはらい、鷹山はやっとその場を退出させた。
以降、この老臣らは病気と称して出仕しない。鷹山は使を出し言葉を尽くして、出仕を促したが出て
こないのです。
やむなく、鷹山は重定(義父)と相談して、処罰した。
2人は切腹、他は知行を減らした上で、隠居、閉門を命じた。
結局は、これが良かったのです。
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