出羽国米沢藩第9代藩主・上杉鷹山 その10

『生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり』

文教政策としては、藩校興譲館を建て、また医学館も建てています。

武術の奨励はいうまでもなく、従来ずっと絶えていた武道上覧を再興させています。

産業の奨励も各方面で行っています。

開墾、用水路の整備、植樹など、この植樹には杉、松、ヒノキはもちろんのこと、漆、楮(こうぞ

)、桑などを百万本も植えているのです。

上杉鷹山公
ue.上杉鷹山 002

「当家は、30万石から15万石になったのだから、工夫と努力で、15万石の土地から30万石

の収入を上げ得る筈である。それを目途としてやろう」

というのでした。

米沢は織物の町であったといいますが、これも鷹山によってなされたのです。

元来、米沢はカラムシ(青苧)の産地であったが、これまで原料のまま移出されていたが、鷹山は

越後の小地谷からちぢみ職人を呼び寄せ、家中の武士の子女らにそれを教授ます。

カラムシを原料とするだけでなく、麻を原料とする織物も伊達や福島から職人を入れて養蚕を奨励

し、絹織物も始めています。

鷹山は武士の子女らが織物をすることを奨励し、高級な織物は上流武士の子女でなければ織ること

を許さない定めにしたといいます。

上流武士の家は生活が楽ですから、単に内職を奨励しても働きません。

しかし、上級武士の家族でなければ、この種類のものは織ることは許されないのだということにな

れば、織る気になります。

人間心理の機微をつかんでいると感心してしまいます。

以上のほか、紙、墨、茶、藍、梨の栽培、陶磁器、鍛冶、武器類、陶器、ロウソク、たばこ、馬、

養魚など米沢地方でやれるものはすべて取り入れて奨励したのです。



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米沢城の上杉景勝と直江兼続像(天地人)
ue.上杉景勝&直江兼続




                       <参考文献:覇者の条件(海音寺潮五郎薯)>
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