男系が絶えるまで幽閉された土佐藩家老・野中兼山 その2

『一豊の死』

良明が20歳になった時、一豊の弟・修理亮康豊に男の子が生まれます。

後の忠義です。一豊はこれを養嗣子と定めた。

関ケ原の戦い後、一豊は土佐で20余万石の見代となったので、良明に土佐の中村で2万9千石を

与えています。

山内一豊(1545-1605年)
ya.山内一豊

米姫の死によって養嗣子となることを逸した不幸を慰める気持ちもあったのでしょう。

一豊は1605年(慶長10年)に病死して、後は忠義が継きました。やっと14の少年領主であ

ったので、実父の修理亮康豊が後見職です。

康豊は、良明が他氏でありながら、一時本家の相続位置にあったことを快試からず思っていたので

しょう。

一豊の49日の法要が終わって間もなく、良明を呼んで、知行のうち1万8千石分を返還するよう

に言いわらします。

良明は驚き、また立腹したことは言うまでもありません。

いろいろと抗弁して中村に帰ったが、怒りがおさまりません。

家来どもを集めて

「思う子細がある故、おれは当国を立ち退く。いずれのひとかどの手柄を立てて立身し、皆の者を

呼び寄せるゆえ、それまではいかにしても生活を立て、待っているよう。当分は姫路の荒尾家に身

を寄せるつもりである」

と、言い残して、四万十川の河口にある下田という港から、数人の家来を連れて、妻をおいたまま

土佐を立ち去った。

良明、33歳の時です。



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pig 20160526



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