真田丸 その20

『昌幸の墓所』

昌幸の葬儀に関しての詳細は不明です。

死後、遺体は九度山に同行していた河野清右衛門らによって火葬にされ、1612年8月に分骨を

上田に運んだという。

真田山長谷寺 (長谷寺の昌幸の墓参りは「こちら」です。)
*クリック拡大で六文銭が確認できます。
sa.真田昌幸 長国寺

墓所は長野市松代町松代の真田山長国寺で、上田の真田家廟所である真田山長谷寺に納骨されて

います。

この長谷寺は、1547年に真田幸隆(昌幸の父)が真田氏の菩提寺として「真田山種月院長谷寺

」を建立し、昌幸が・父幸隆の菩提のために寺の増築改修を行い、諸堂を完備しています。

しかしながら、1600年の第2次上田合戦の際に退却する徳川勢に火を放たれ焼失。現在の建物

は昭和53年に再建されたものです。

また九度山(和歌山県伊都郡九度山町)の真田庵にも法塔が造立され昌幸墓所とされており、後に

尼寺である佉羅陀山善名称院が開かれています。

別称の真田庵というのは、大安(僧名)が建立した善名称院の事で、いつの頃からか、後世に真田

庵と呼ばれるようになっています。



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                                 <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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昌幸さん

こんばんは。すっかりご無沙汰しております。
大河で大人気の昌幸さんですが、ほんとに晩年はお気の毒でしたね。
九度山の真田庵、てっきり真田さんのおうちかと思っていたので、訪れてちょっとびっくり。
そう、尼寺だったんですよねぇ。

pigletくん、石碑から離れたくないのかな。
うさぎ汁にされちゃうぞ。

つねまる さま

つねまるさん、こんばんわー♪

今日はちょっぴり昌幸さんらしらが出ていたような気がしました^_^

> 大河で大人気の昌幸さんですが、ほんとに晩年はお気の毒でしたね。

年老いた老将が再興を思いながら、この地で没したのかと思うと感慨深いものがありますね。
駐車場の下が、紀ノ川が流れていましたが、ここで釣りでもしたのだろうなって思いました(^_^)

> 九度山の真田庵、てっきり真田さんのおうちかと思っていたので、訪れてちょっとびっくり。
> そう、尼寺だったんですよねぇ。

蟄居先としてお世話になっていたのですね。
尼寺とは、妻子が同行していたからなのでしょうか・・・。

> うさぎ汁にされちゃうぞ。

いい出汁はでないので、後生だから、それは止めてください! お姉さまー❛︵❛
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