【甲斐の虎 武田信玄】 その1

『甲斐を統一した信虎(信玄の父)』

甲斐の国は、八幡太郎義家の弟・新羅三郎義光の子孫が栄えた土地でした。

義光はここの国守となって、次男・義清を生んだが、その子孫が分かれて、逸見、武田、一条、

甘利、板垣、岩崎、小笠原、南部、大井、秋山、安田、平賀などの諸氏となって、甲斐から信濃

にかけて広がっています。

躑躅ヶ崎居館
武田神社 003

甲斐源氏、信濃源氏といわれる諸氏の殆ど全部がこれにあたります。

甲斐におけるこれらの諸氏は、同じくらいの勢力をもって戦国の中期まで、各地に割拠していた

が、中期を過ぎた頃に、武田氏に信虎という豪傑が出て、30数年の間に諸氏を征服統合して、

甲斐を統一し、居館も石和から躑躅ヶ崎に移しています。

信虎は戦争上手でしたが、暴悪な性格で、家来にも民にも忌み嫌われ、恐れられた人ですから、

この人が甲斐一国を統一したことが、信玄の生涯の事業の基礎となっています。

今の甲州は違いますが、昔は貧しいところだったといいます。

気温は寒冷、土地は狭小、地味は悪く、米経済の時代は貧国をまぬがれない国であったという。

ですから、力が出てくると、どうしても他に向かわざるを得ない状況だったのです。

信虎(信玄の父)は周囲の国々をうかがったが、南方の駿河は美国ではあるが縁戚であるうえに、

足利将軍家の一門の名家として、東海の雄である今川家の管国であるので、義理からいっても、

力関係からいっても、どうにもならない。

東方の武蔵、相模は関東の覇者である小田原北条氏の分国であり、これまた抵抗が強くて無理で

す。

北方は山岳地帯です。

残るは、西方の信州方面です。信虎は、この西方に出て行くしかなかったのです。



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pig 20160703


                    <参考文献:覇者の条件(海音寺潮五郎薯)>
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