【甲斐の虎 武田信玄】 その3

『勝千代(信玄)の元服』

信虎(信玄の父)は、どうしても信州に入りたいのですが、諏訪市がその領内を通って軍勢が行

くことにいい顔をしないので、佐久道から入ることにした。

佐久道を少し入ったところに海野口という地があり、現在の南牧あたりです。ここに平賀源心と

いう豪族がいた。

信玄公の産湯を汲んだ積翠寺‎の井戸
si.信玄公の産湯を汲んだ井戸

平賀氏ですから武田氏と同じく新羅三郎の次男・義清の末孫です。

この平賀源心は、なかなかの豪傑で、「力70人力と言いならわせども、10人力もこれあるべ

く、4尺3寸ばかりの太刀を常に所持せり」と、甲陽軍艦にあるほどの人物であるうえに、信州

豪族らが武田氏の侵入はやがては自分らの災いであると、助成に駆けつけて来ますので、猛将

・信虎も勝つことができません。

幾度も攻め入っては、攻め落とせず退却していた。また、源心が逆に甲府から3里の韮崎まで侵

入して来ることもあったのです。

何年かこんなことを続けて、天分5年(1536年)になった。

その年の3月、信虎の長男・勝千代(信玄)は、16歳で元服して晴信となった。

晴信の「晴」は将軍・義晴の一字を貰ったのです。

式には将軍の名代と後奈良天皇の勅使・三条大納言公頼が、わざわざ下向して列席し、晴信を

従5位下、大善太夫兼信濃守に任叙した。

7月には勅使として来た三条公頼の姫君が下向して結婚しています。

この結婚は勅諚によったといわれますが、相当な献上物をして三条家を通じてお願いをすれば、

甲斐源氏第一の名門ですから、勅諚は容易に貰うことができたのでしょう。



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いつもありがとうございます。


信玄公の産湯井戸がある積翠寺‎




                <参考文献:覇者の条件(海音寺潮五郎薯)>
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