秀吉の出世街道 その1
『幼名は子猿』
秀吉の記録はたくさんありますので、彼の生涯を記事にすると気が遠くなりますので、取り敢えず
関白に任官するまでを記事にしたみたいと思います。
豊臣秀吉(1537-1598年)

豊臣秀吉は、天文6年(1537年)2月6日、尾張国愛智郡の中村で生まれています。
通説では、天文5年の正月元旦に日の出とともに誕生したとも言いますが、これは小瀬甫庵の「太
閤記」以下の俗説であって信用しがたいものです。
天文6年誕生説は、秀吉の御伽衆・木村由己があらわした「関白任官記」に明記してあり、真実性
が高いのでしょう。
秀吉の父は中村の農民で弥右衛門といい、母は同じく御器所村の人で、名を“なか”といった。
この“なか”が、後の大政所(天瑞院)です。
姉は“とも”(瑞竜院)、弟は小一郎(秀長)、妹は旭姫といった。
ただし、この弟妹は異父弟妹でした。
父の弥右衛門は秀吉が幼少の頃、病死したので、母の“”は織田信秀(信長の父)の同朋を務め
たという筑阿弥と再婚し、小一郎と旭姫を生んでいます。
実父の弥右衛門も信秀の足軽を務めたといわれます。
秀吉は幼名を子猿といったらしいです。
農民の小せがれのことですから、呼び名だけであったのでしょう。
「太閤記」では、幼名を日吉丸としていますが、農民の小せがれとして相応しくありません。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
秀吉の記録はたくさんありますので、彼の生涯を記事にすると気が遠くなりますので、取り敢えず
関白に任官するまでを記事にしたみたいと思います。
豊臣秀吉(1537-1598年)

豊臣秀吉は、天文6年(1537年)2月6日、尾張国愛智郡の中村で生まれています。
通説では、天文5年の正月元旦に日の出とともに誕生したとも言いますが、これは小瀬甫庵の「太
閤記」以下の俗説であって信用しがたいものです。
天文6年誕生説は、秀吉の御伽衆・木村由己があらわした「関白任官記」に明記してあり、真実性
が高いのでしょう。
秀吉の父は中村の農民で弥右衛門といい、母は同じく御器所村の人で、名を“なか”といった。
この“なか”が、後の大政所(天瑞院)です。
姉は“とも”(瑞竜院)、弟は小一郎(秀長)、妹は旭姫といった。
ただし、この弟妹は異父弟妹でした。
父の弥右衛門は秀吉が幼少の頃、病死したので、母の“”は織田信秀(信長の父)の同朋を務め
たという筑阿弥と再婚し、小一郎と旭姫を生んでいます。
実父の弥右衛門も信秀の足軽を務めたといわれます。
秀吉は幼名を子猿といったらしいです。
農民の小せがれのことですから、呼び名だけであったのでしょう。
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