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秀吉の出世街道 その4

『ふところで草履を温める』

尾張に帰国した子猿(秀吉)は、1554年(天文23年)18歳で那古屋城主であった織田信長

に仕えた。

その頃、信長は21歳であったが、まだ尾張一国どころか上半国も平定していない時期でした。

上半国を平らげて清州の城主となったのが、その翌年です。

尾張一国を平定したのは、5年後の1559年7月のことです。

清洲城の織田信長 (清洲城登城記は「こちら」です。)
od.織田信長清洲城像 001

子猿が改めて信長に奉公することを決意したのは、信長の株が上がったこの時期であったと推測

されます。

今川義元の直臣ならともかく、又者(陪臣)で一生を終えるよりも、むしろ義元と同様の、しかも

成長株を買い占めたほうが有利と考えたのでしょうか。

子猿は若輩ながら、なかなかの目先が利いていたのでしょう。

小瀬甫庵の「太閤記」では、1558年に狩場で信長にあい、直訴して仕官した、その場所が大き

な木の下であったから、木下を姓としたと説明していますが、これはひとつの浮説であって信用し

がたいのでしょう。

ともかく子猿は第二の主君である織田信長に仕えて、初めは仲間・小者という低い身分で、主君の

草履取りをした。

つまり、子猿は始めからやり直しだったのです。松下家で小納戸役まで務めた経験はまったく認め

られていなかったのです。

しかし、子猿はいっそのこと天下一の草履取りになろうと決心していたのでしょう。

仕事のまめまめしさは群を抜き、「絵本太閤記」によると、ある冬の寒い朝、信長が履く草履をふ

ところに入れて温めていたという。

これは、有名な話ですよね。



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pig 20160726




                        <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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