秀吉の出世街道 その6

『信長の東美濃攻略』

木下藤吉郎秀吉の功名となったのは、1564年(永禄7年)織田信長が東美濃を経略した時で

あったといわれます。

信長は永禄3年に木曽・長良の両川を越えて、西美濃に侵入して以来、しばしば斎藤竜興の本拠

である稲葉山に迫ったが、斎藤勢との戦績ははかばかしくなかった。

これは稲葉山が天険の要害であるばかりでなく、東美濃方面に斎藤氏を支援する土豪が多かった

からです。

犬山城ライトアップ (犬山城のライトアップは「こちら」です。)
in.犬山城ライトアップ 007

信長は、東美濃経略の必要を痛感し、永禄7年に便宜上、居城を尾張の小牧山に移し、ついでに

犬山城を落とし、みずから兵を率いて東美濃に侵入し、まず尾張と美濃の境目の松倉城に入った。

松倉は坪内利定の居城であった。

坪内氏は、姓は藤原、初め加賀の国を領して、富樫氏を称したが藤左衛門頼定のとき、流浪して

尾張に来たり、犬山城代の織田白厳に頼り、野武の城代・坪内又五郎の家号を継ぎ、坪内氏と改

め、美濃の松倉郷を領した。

それ以来、代々織田氏に属し、利定は桶狭間の戦いでは今川兵の首をひとつ取っています。

松倉城には、坪内利定にほかに祖父の兼光、父の勝定もいた。

信長は、彼ら一族に命じて、東美濃経略の案内役を務めさせています。



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                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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苦労人

こんにちは。いつもお世話になっております。
そうなんですよねぇ。信長って、突然颯爽と現れたわけではないんですよねぇ。
足元でもたもたした時期が結構あって。秀吉もそれは知っていたはず。

pigletくん、ちっちゃい頃から美人さんですね。
今のpigletくんも、目や耳に表情豊かでかわいいですよね。
そちらも梅雨明けして暑くなるかと思います。
元気に夏を越して欲しいです。

つねまる さま

つねまるさん、こんにちは。

いつもありがとうございます(^o^)丿

あちっちぃーの夏がやってきましたー(◎o◎)
どこか涼しいところに行きたいです!
関東では、軽井沢とか信州が身近な場所ですけど、畿内でいうと何処になる
でしょう。

信長さんは小大名からの出発ですから、尾張を制するのに時間を要したので
しょうね。
国力が強大になると、臣下が働いてくれるので左うちわで・・・。
いつの世も同じだったのでしょう^^

pigletは温厚で人なつこいうさぎですから、公園でもモテモテなんですけど、
子供は奇声を出したり、後ろから触ってきますから、子供大嫌いなうさぎです( ͒˃⌂˂ ͒)

つねまるさんも熱射病には十分注意されて徘徊(^^)されてくださいねー(^^)/
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