秀吉の出世街道 その15

『トントン拍子の出世』

秀吉は、柴田勝家ほどの忠臣ではなかった。

かりに秀吉が、主君・信長のことや、また、織田家のためを思う忠誠であったとすれば、信長の

死後、その政権を横取りする筈はなかったと思います。

清洲城(清洲城登城記は「こちら」です。)
ki.清洲城 002

信長の次男・信勝か三男・信孝か、あるいは嫡孫の三法師かに、天下を譲ったことでしょう。

しかし、それを山崎合戦直後の清須会議で、三法師を織田家の後嗣とすべしと主張しておきなが

ら、いつのまにか、これを逆に臣従させ、秀吉自身が天下の政権を奪い取ったのは、忠臣である

ところか、明智光秀と同様の逆臣ということです。

さすがの信長も、秀吉の行動するまで予測することはできません。

秀吉が終始、粉骨砕身、奉公の至誠を信長に捧げていたから、無理もないのです。

そのような忠臣である秀吉に対しては、信長も至極、寛大な気持ちで、それを引き立て、秀吉の

数々の手柄を称賛し、次々とこれを優遇していたのです。

そのため秀吉の出世は、トントン拍子で、近江北3郡12万石の大名で、長浜の城主となったので

す。



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pig 20160810



                       <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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