真田丸 その30

『昌幸の遺策』

軍議の席上、信繁は父・昌幸の遺策を提案しています。

真田昌幸(1547-1611年)
sa.真田昌幸 003

「籠城作戦というのは、いずれよりか援軍の到来を期待できる時のみ利がある。今度の合戦は天下

を敵としてことなれば、初めより籠城に出ずるは策を得たものではない。敵に機を奪われ、やがて

は糧食も尽き、力も衰えて、ついには落城に至る。出て戦うしかない。出て戦って、時をかせぎ、

2、3度勝つうちに必ず豊臣家恩顧の大名らの間に心を動かして味方する者が出て来るであろう。

それには、機先を制するが第一である。関東、北国の兵がまだ京都に入らぬ先に、秀頼公御出陣

あって御旗を天王寺に立て、兵を山崎に出し、拙者と毛利勝永とを先鋒とし、長蘇我部と後藤に

大和路を攻めさせ、伏見城を陥れ、京都を焼きはらい、宇治、瀬田を固めて、畿内・中国・九州

にふれて大名どもを招いたら、必ず味方に馳せ参ずる者が多いであろう。関東方は長途に疲れて

いる身で、この寒さの河を渡るのだ。意気上がらぬに決まっている。味方の利は必定だ。大河を

ひかえて戦うは大軍を防ぐ常道である。かくして利がなかったら、籠城すべきで、籠城を急ぐこと

はない」と主張し、後藤又兵衛もまた出撃策を説いたが、いずれも行われなかった。

「そちらには俺ほどの貫禄がない。同じ策を立てても、人が従わぬであろう」

と昌幸が末期に言って嘆息した通りになったのです。



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pig 20160820




<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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大佐 さま

暑い中、大変でした。早く、回復されるといいですね。

中津といったら唐揚げ、この猛暑でも食べたいです^^
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