戦国乱世 その5

『まずは国衆ねらい』

国衆は厳密にいえば小名ですが、大名といえる実力を持ったものもいた。

尾張の織田氏にしても、摂津でその下郡(しもごおり)を3分した池田・伊丹・河原林の3氏な

ども、大名といってよいのでしょう。

われら、国衆
ku.国衆

しかし、大小名となった国衆らも縄張り争いがせいぜいでした。とはいえ、縄張り争いの被害は

民衆が受けるのです。

むしろここを戦国乱世というべきなのでしょう。

つまり兵力は弱小ですが追われた国衆は土着勢力ですから、隣郷に逃れるか、隠居して雌伏する

ことができたのです。

負けてもなお、ふるさとの郷衆らを指導するので、戦勝側の国衆らの新郷の支配は徹底しない。

ですから国衆・郷衆らの興亡は一時的なものとなり、保守的な農村から新興勢力の躍進は難しい。

応仁の乱前後でも、新興の名主がこの郷衆の列に入るのがせいぜいだったのです。

そこで国衆らはたえず連合を図らなければならなかったのです。

また、大名になっても伝統的な守護代らを擁したり、隣国勢力を迎えたりしていた。そのため奸智

に長けた浪人者などの謀略にかかることもあった。

もとより浪人も立身するためには、いったんは大名や国衆のもとに身を寄せ、そこで敏腕をふるう

必要があった。

匹夫が天下を望むといっても、当時のねらいは国衆だったのです。

北条早雲などは大名に仕える目的で大名勢力の強かった東国に下がったのですが、関東が乱れ

ているという幸運にぶつかったのです。




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pig 20160906




                        <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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