真田丸 その34

『真田丸勢の挑発』

戦いが始まったのは12月1日であった。

前田利常と井伊直孝・松平忠直・藤堂高虎・寺沢広高らが真田丸に攻めかかった。

攻める側は大軍なので、小さな出丸ひとつくらいは簡単に落とせると考えていたようですが、見込

み違いであった。

真田丸
sa.真田丸
(広島市立中央図書館所蔵)

前田家と真田丸との間に小さい笹山があって、いつもここに真田丸の兵が出入して鉄砲を撃ちかけ

るので、この日、前田家の重臣・奥村摂津は

「あの山がじゃまだわ、あれにいる敵を追い払わないとどうにもならぬ」

と言って、手勢を率いて用心しながら駆り立ててみると、一兵もいない。

勢い込んで出た後、体裁悪く引き上げにかかると、真田丸の塀の上に突き立って呼ばわる者がいた。

「もうし、もうし、加賀の衆。笹山を駆り立て召されたは、ご退屈しのぎの追鳥狩のためでござる

かや。

それほどご退屈ならば、一番この出丸を攻めてご覧あれ。われらが所在の上田鍛冶の打ったる矢の

根にて、ご重代の鎧の札を試してみるのも御一興でござるや」

ふざけ切ったこの嘲弄に加賀勢はかっと激昂し、

「生意気な!踏み潰せ」

とばかりに、まっしぐらに押し寄せて来た。

塀を引き崩せと濠に飛び込み、塁をよじ登ろうとしたが、真田方では全てがこうなるようにと計画

していたことだったので、雨のように鉄砲と弓を射かけた。

竹束も盾も用意していなかった奥村勢は散々に撃ち込まれ、多数の死傷者を残して退却した。

前田利常は、

「軍令を破って勝手な戦さし、加賀の恥をさらした」

と怒って、奥村を勘当したという。



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pig 20160917




                  <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>
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No title

出丸というより、出城に近い規模だったらしいですねえ。
大阪城にあった「伝・真田雪村甲冑」がどうも胡散臭さを感じてしまいましたw

えどっこっこ さま

えどっこっこさん、こんにちわー

そうですよね。
数千の兵が詰めていたのでしょうから、かなり大規模だったのでしょうね。

> 大阪城にあった「伝・真田雪村甲冑」がどうも胡散臭さを感じてしまいましたw

そう、「伝」は胡散臭いです^^
戦いに負けた人の物は残る筈がないですし・・・。
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