戦国乱世 その21

『全国政権を待望する町衆』

1560年(永禄3)桶狭間の戦いは、織田信長の勝利もそうですが、今川義元の上洛ということ

が群雄を刺激したでしょう。

当時の大名たちの諜報網は著しく発達していて、川中島の合戦をしばしば繰り返していた上杉謙信

や武田信玄がまず感じたことでしょう。

川中島の戦いの謙信公と信玄公
ka.川中島の戦い

越後や甲斐は中央化が遅れており、それが謙信や信玄の一代のうちに飛躍的に中央色に染まって

いったと思われます。

この2人に織田信長が加わります。信長は小名ですが冒険好きという条件を兼備していたのです。

この信長が進むところに幸運が追従し、冒険の進路を開けてくれたのです。

その他の大名たちは、応仁の乱の教訓から、大内氏に擁立された将軍・義稙(よしたね)時代の

栄華のはかなさも知っていた。

群雄らの多くは大内氏の滅亡を上洛のせいだと考えたに違いありません。これは武田信玄も同じ

だったのでしょう。

信玄は上洛のかけ声ばかりで、その行動が伴わなかったことから推測できるのではないのでしょ

うか。

一方、上杉謙信がいちばん上洛の意欲を持っていたといえそうです。

このほか越前の朝倉氏は上洛を欲したのでしょうが、一向一揆に阻害されて領国が確立していま

せんでした。

しかし、天下統一の気運は動いていて、文化のからみあいもありますが、全国政権の待望が「都」

の町衆らから発散していたのです。

しかし、西国との往来が盛んだった町人らは、東国から西上を欲する織田・上杉・武田氏らに注

意を払わなかったらしい。というより、これらの上洛の決意が聞こえてこなかったのかも知れま

せん。



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                  <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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