近代の城 その12

『御殿は本丸から二の丸へ』

城内の建造物として城主の住居や役所などがありますが、それらは特に軍事建築でなく、普通の

建築物です。

時代が平和に向かうとともに天守は主として望楼として用いられ、城主の御殿は天守から離れて

城内の平地へと移っていきます。

そうして天守の下層などは倉庫として利用されることになります。

天守と御殿が直結の高知城 (高知城登城記は「こちら」です。)
ko.高知城 001

天守という名称は、もともと城主の住居としての意味から起こったものでしょうが、その本体た

るべき城主が天守を去って平地の御殿に住むこととなったのは、辞世の変化に伴う現象として当

然のことなのでしょう。

初期の天守ほど御殿と結びついており、たとえ両者が離れたとしても、なお天守が直接本丸の御殿

に連続していた場合もあります。

加藤清正が築いた熊本城や山内一豊が築いた高知城などはその一例です。

しかし御殿も天守も木造建築である限り火災の危険は大きく、特に御殿にそれが多いので、防火の

点からも天守と御殿とが分離していったのでしょう。

城主の御殿は城により、また時代により、その位置は一定していませんが、初期には天守に近い本

丸に置かれ、後世になるに従い二の丸に移る傾向があります。

実際各地の城では火災が発生しており、天守それ自身が焼けた例もありますが、城内御殿の火災は

頻繁に起こり、そのたびに改築され移動した例が多いのです。

金沢城などはその一例でしょう。要するに江戸時代が進むとともに、城の歴史は天守を去って御殿

に移ってしまったのです。



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pig 20161019




                       <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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