秀吉と桃山文化 その6

『備中高松城水攻め』

1582年(天正10)5月、秀吉が備中の高松城を水攻めにしたとき、諸陣にふれて士気を鼓

舞しようとして、詠んだ一首は

両川のひとつに成って落ちぬれば毛利高松ももくづにぞなる

と、いうのであった。

備中高松城水攻め(備中高松城登城記は「こちら」です。)
bi.備中高松城 001

両川とは、毛利の名将・吉川元春(元就の二男)と小早川隆景(元就の三男)を併称したもので

す。

この時、毛利輝元(元就の嫡孫)が、この両将を連れ大軍を率い高松城の後巻にやってきたから

です。

この狂歌が毛利勢にも宣伝され、やがて高松城主・清水宗治の自刃となり、秀吉は急速に毛利と

和睦して東上し、本能寺で信長を横殺した逆臣・明智光秀と山崎で戦い、これを討ち滅ぼしてい

ます。



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いつもありがとうございます。


sa-ko 20161028




                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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No title

清水宗治が、身だしなみを整え、小舟で秀吉の陣の前で、ひとさし舞い切腹した話が、印象深いですよね。

えどっこっこ  さま

えどっこっこさん、いつもありがとうございます♪

そうなんですよねー。
名将・宗治公を失った城として備中高松城は有名ですよね。

宗治公の切腹の後、切腹は名誉な死であると秀吉が称えたため、この後、切腹が武士の
最良の死に方になったとか。

戦国武将は現代に生きる私たちに生きざまを教示してくれているような気がします。

No title

初めまして。しんまいパパと申します。

私も歴史が大好きで、ここで記事にされている「備中高松城の水責め」の日本史のハイライトの一つですよね。

もし、ここで時間がかなりかかったら、その後の歴史も変わっていたかもしれませんよね。

あと、真に勝手ながらリンクさせていただきました。

また顔を出します(^_^)

しんまいパパ さま

しんまいパパさん、こんにちは。

いつもありがとうございます。

歴史がお好きなんですね!

今に生きる私たちは、過去の歴史は知っていますが、
当時、生きていた人たちは、方向を探りながら一生懸命
生きたのでしょうね。
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