秀吉と桃山文化 その7

『狂歌から和歌へ』

九州遠征も終わった1588年(天正16)の2月頃、関白秀吉が

海の上にもやまひありけり

という発句をつくり、付け句せよと家臣に命じたとき、ある武士が

かゐなはす船に付けたる押し薬

と付けたので、秀吉は感心し、その武士に5百石の知行を与えたという。

押し薬として買った膏薬で、病を治す、という意味のしゃれたものです。

細川忠興のパパ細川幽斎(1534-1610年)
ho.細川幽斎

こんどは、その武士が

海の底にもいくさありけり

と発句すると、秀吉はすかさず

つり針にかかりてあがるかぶと貝

と付けたという。

秀吉の手なみも、尋常ではなかったのでしょう。

秀吉は狂歌を学んで、それから和歌を作り始めたようです。

「細川家記」によると、秀吉は1585年(天正13)7月11日、関白に任官すると同時に宮廷

の礼儀作法を右大臣・菊亭晴季に学び、細川幽斎について和歌を習っています。

まず連歌からはいって、後に和歌も詠んだといいます。

また、大村由己の「紀州御発向記」によると、秀吉は関白に任官する4ヵ月前、天正13年4月に

根来征伐のため紀州に出陣したとき、和歌の浦で遊び

打ちいでて玉津島よりながむればみどり立ちそふ布引の松

という一首の和歌を詠んでいます。

この和歌にたいして大村由己は

「もっとも正風体の佳作である」

と褒めています。

これは由己の代作などでなく、秀吉の自作だから賞賛していることです。



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                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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