秀吉と桃山文化 その12

『大徳寺総見院の茶会』

亡君信長にかわって中央政権を掌握してからの秀吉は、茶の湯政道の方針を継承し、数奇者として

の面目を遺憾なく発揮します。

まず信長の御茶頭をつとめていた堺の今井宗久・津田宗及・千宗易(利休)のほかに山上宗二・重

宗甫・住吉宗無・万代屋宗安・千紹安の5人を加え、この8人を御茶頭と定めています。

大徳寺・総見院 (大徳寺訪問記は「こちら」です。)
so.総見院 001

宗易や宗及の指図によって、新時代にふさわしい茶室や数寄屋を造らせ、また戦陣の余暇に、さま

ざまな新しい趣向をこらした茶会を催しています。

秀吉が主宰した茶会で代表的なのは、1585年(天正13)3月8日、京都の大徳寺総見院で開

かれた茶会でしょう。

総見院は、織田信長の菩提を弔うために大徳寺内に建てられた塔頭ですから、この茶会は亡君の冥

福を祈り、旧恩に報いる趣旨で秀吉が開催しものだと思います。

この茶会の舞台となったのは、総見院の境内の11ヵ所に設けた掛茶屋風の茶席であった。

「中川文庫」によると、その茶屋は屋根が茅葺で9尺3間の橡(くぬぎ)づくり、中央に通路があ

り、かまどが2つずつ付いていたという。

茶会の亭主は秀吉、御茶頭は津田宗及と千宗易(利休)であって、各茶室にわかれて茶をたてる。

座敷には秀吉秘蔵の名物茶茎を飾り、まず一番に大徳寺の和尚たちに拝見させ、二番には斯波

三松のような、いわれのある浪人衆に見せ、三番目には名物持ちの茶人らに拝見させたのでしょ

う。

当日、御茶を賜った者は、143人に達したといわれ、その時のふれ書きには

「ただし、侘びた者でも、かまわぬから、道具を持って上洛し、自分も茶の湯を構え、人の名物道

具を見てよろしい」

ということであった。


総見院は、現在、特別公開で、11月30まで拝観できるようですね。


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pig 20161117





                        <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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