秀吉と桃山文化 その16

『能は名護屋城で始める』

秀吉が能の仕舞の稽古を始めたのは文禄2年2月、肥前国名護屋在陣中のことで、金春座の暮松

新九郎の勧めでした。

名護屋城 (名護屋城登城記は「こちら」です。)
na.名護屋城大手門

長陣を慰めるため、金春太夫安照・暮松新九郎・樋口石見守・女房能のちほ太夫・津田右衛門な

どの能役者を側近に召し寄せ能を興行させ、これを見物すると同時に、「弓八幡」の仕舞の稽古

に熱中し始めたという。

それから同年の10月には、5日から3日間にわたって宮中で盛大な能楽を興行し、後陽成天皇

の叡覧に供えています。

「駒井日記」によれば、このとき秀吉自身も、初日に「弓八幡」、「芭蕉」、「皇帝」、「三輪」

の4番を、2日目に「定家」、「大会」の2番を、3日目に「呉服」、「田村」、「松風」、

「杜若」、「金札」の5番を演じたという。

さらに文禄3年2月9日、大坂城本丸の舞台で、「吉野詣」、「田村」、「関寺小町」、「源氏

供養」、「老松」の5番を演じ、関白・秀次に見物させたといいます。

その頃、大坂城にいた正妻・北政所に送った秀吉自筆の手紙には、能楽の稽古に忙しくて、北政

所からの便りに対して、返事も書けないほどであって

「京都中の女房殿に見せてやるのだ」

と、得意がっていた様子が伺えます。




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いつもありがとうございます。



pig 20161122




                        <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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ごますりごますり

こんにちは。いつもお世話になっております。

新九郎は金春座付の素人役者(手猿楽)ですが、きっと誉めて伸ばすのが上手だったんでしょうね。

秀吉の頃は現在よりもかなりテンポが早かったと思われます。
一般的な能の番組は、能3番、狂言1番、仕舞数曲で12時から17時の上演時間。
禁中能の番組を今演能したらどうなることか。気絶します。

「関寺小町」は非常に難曲で観世流では7代の間上演がありませんでした。
それをお稽古を始めて間もない秀吉がシテをつとめるのですから、いかにホイホイと持ち上げられたか、よくわかる番組です。

でもおかげで現在まで能楽が生き延びたわけですから、当時の皆様に感謝ですねー。

明朝はそちらは雪だとか。
うさーずさん達、あったかくしてもらってねー♪(してもらってるねー♪)


つねまる  さま

つねまるさん、こんにちわー♪

関寺小町、ありがとうございました!

秀吉さんの能楽は本格的だったようですね^^
手猿楽でも楽しめるとは、庶民的な要素もあったのでしょうかね。

お茶、狂歌、和歌、能楽と秀吉さんも、かなりの風流人だったようですが、
この時代の風流人はかなり魅力的な逸材ですが、これを列挙してみるのも
面白いかも知れないですね♪

あ、雪が舞っています。
この冬、一番の寒さです><
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