秀吉と桃山文化 その17

『秀吉の遺言』

英雄太閤秀吉の末期をもっとも演技的に見せてくれたのは「真書太閤記」ですが、これは江戸幕

末の1852年(嘉永5)から明治にかけて、栗原柳庵という民間の学者が編集した書物です。

1598年(慶長3)8月16日というと、没する3日前のことです。

太閤秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

太閤秀吉は、大老・中老・五奉行をはじめ、譜代・外様の諸大名を病床ちかくに召し寄せて

「わしのいのちも、旦夕に迫った。もはや両3日とは、もたないであろう。わしが死んだなら、

死を極秘にせよ。もちろん葬式など、やるに及ばぬ。大老・中老・五奉行の面々は、遠謀をめぐら

し、朝鮮在陣の将兵らを無事に帰還させよ。わしが一番心配しているのは、この事だ。もし、下手

やって将兵らがいたずらに異国の地で、命を落とすようなことがあったなら、その身だけか、日本

の国の恥にもなる。それに、わしが死ねば、わが子秀頼は、まだ幼弱であるから、天下の政治のこ

とは、各々方で相談し、よろしきに計らうがよい。とりわけ、徳川家康と前田利家のうち一人は、

秀頼の後見役となり、一人は執権職として、政令をただし、一年おきに、その役目を交替して、秀

頼を補佐せよ。その上で、もし秀頼が成人して、天下に号令するほどの器量があったならば、一人

前の武将にもして欲しい。しかし、万が一、その器でなければ、両人が政治をあずかり、天下を治

めてほしい」

と遺言した。

家康と利家は、謹んで

「そのことについては、少しも心配なされますな。それがしども、この世にあるかぎりは、誠心誠

意、幼君・秀頼公を補佐いたそう」

と答えたという。


この書物に基づく小説やドラマはたくさんありますが、秀吉没後、250年も後に書かれた書物で

すから、本当のところ、どうだったのでしょうね。



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                   <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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